自分を知る/生きる力について
パプアニューギニアのマーケットにて。外国人の壁を感じさせない笑顔。
アスペルガー症候群だと受け入れて
適応しきれず表現を抑えていった学生時代
幼い頃から僕にはちょっとした違和感があった。その違和感が大きくなったのは中学時代。女の子のクラスメイトに何気なく思ったことを伝えると相手が泣いちゃうことが多々あった。感じたこと、思ったことにジャッジのなかった僕は理解できなくて困惑したのを覚えている。男友達の中でも思ったことをポンポン言っちゃう僕はKYだと言われていた。頭に浮かんだ気持ちやアイディアは気づくより先に口から出ていた。紡がれる会話の文脈をスキップするように話をしていた。思ったことを素直に伝えてはいけないんだとインプットした自分は素直に言うのを抑えていった。
八方ふさがる袋小路の中にて
今、振り返れば適応しきれてはいなかったけれども、なんだかんだ楽しくやって来ていた。
なんだかんだでは済まなくなった19歳〜26歳。
きよひと、やまひに落ち入るの巻。
自分が抑えれば丸く収まるなどといった思考の癖は、適応しきれていない自分の中に抱えきれないほどの重みを持つようになっていった。行き場を失くした感情の矛先は自分に向かった。健康を保つための免疫はいつしか自分を攻撃するようになっていた。独特な匂いのする病室でひとしきりセンチメンタルに浸った僕は、迷子になっていることに気が付いた。これからどう生きていいかわからなかった、19歳。
その時、考えうる限りの治る鍵を探し求める。大学の医学部図書館にでさえ、その鍵は落ちていなかった。諦めるのは生きることの放棄だと、探し求め続けた。だけど、心の奥底では諦めて、探すことそれ自体が自分を落ち着かせるための癖になっていった。
当時、好きだった人に「死にたいなら勝手に死んで下さい」と現実を突きつけられた。諦めた人生に好きな人を巻き込むほど失礼なことはない。情を越えて真摯に本音を伝えてくれたその方の一言で目が覚めた。厳しさから溢れる愛を知った。死にたがっていた自分を初めて受け入れた。26歳。
その数年前に同じ言葉を投げかけてくれた方に会いにやんばるを訪れた。生きたいです。なんでも教えて下さい、と頭を下げた。外側ばかりに答えを探し求めていた自分が本気で自分と向き合うと決めた。自分と向き合うことを本気でやり抜いている人達の中で「自分を知る」を深めていく。一人ではほどけない程に絡まった糸を仲間たちとほどいていく。ほどく毎に溢れる感情は涙でさえも喜びに変わっていった。自分を知れる喜びに魂が震えた。自閉症やアスペルガーの特徴を持った仲間はデコボコな個性だったけれど、眩ゆいほどに輝いていた。実際に病院で診断を受けた人もいたが、そんなことは重要ではなかった。薄いか、濃ゆいかの違いで自分の中にもあった。そうこうする内に身体はいつの間にか若返っていた。この時の喜びを僕は絶対忘れない。一本の蜘蛛の糸は、僕の中にあった。27歳。
アスペルガー症候群/自閉症スペクトラムの特徴
何度も意識していることがあった。誰にでも当てはまる気もする。このタイプの人の3つの特徴。
1. やめない
2. はじめない
3. 変わらない
変化に弱い。凝り固まったこだわりや癖を書き換えていく。今までの自分を作り上げてきた癖の断捨離。今の自分にはもう必要なくなった無意識の癖を手放していく。変化させていく。
1. やめない → やめる
2. はじめない → はじめる
3. 変わらない → 変わる
何度もそこに立ち返った。日常の暮らし、生きる基礎から再構築していった。
自分を生かす!以外は全て手放して自分を理解していったことで、初めて海外旅行にも行けるほど強くなった。バックパッカーをするには難しいと言われたパプアニューギニアで揉まれても生き抜ける強さを得ていた。自分を理解していくことで他人への理解も深まっていった。自分を深く自覚していくことが変化への適応と結びついていた。変化への適応は生きる力だった。どこにいても、誰といても大丈夫だという自分を仲間と共に自分自身で育てていった。
自分を知ることは生きる力そのものだった。
伝わりましたかね?笑
熱くなってしまった〜。笑
まとめると❗️
あんなことや、こんなことが起きて、てんやわんやで、あ〜でもない。こ〜でもないしてたら元気になってました❗️😁🙌🌈
きよひと