カタチではない資産を携えて
陽を浴びて水分が飛び硬くなる。最後には火を浴びて固い石(意志)となる。家業の焼き物
振り返って初めてわかることがある
7月1日、やんばるの森の生活から離れた。そして、今、程よい森の中の実家にいる。
生活の拠点が変わるので、ともに暮らした仲間と節目の挨拶を交わした。今までの人生にない人間関係だった。気持ちの上での繋がりではなく、確かな実感のあるものとして繋がりを感じていた。喜びも、時には悲しみも共有した。お互いの話に深く耳を傾けあった。惜しみない愛が溢れていた空間、自然、そして人。
仲間の一人がこう僕に言った。
「初めてきた時は、死人のようだった。そこから、生きようと変わっていく姿、勇気を見せてくれてありがとう。」
命の道標を書くとしたら、あの時が分かれ目だった。命の分岐点に立った僕はそこから逃げなかった。それは誇り。
実家では、ひたすら家の掃除と家事をしている。朝4時には起きて6時前から掃除、9時からは仕事。夕食を食べ掃除をして、夜は早めに寝る。掃除は自愛に直結している。子供(僕を含めた)のために自分を差し置いて頑張ってきてくれた両親。今までに感謝をするとともに、これからは自分を大切にして欲しい。自分は犠牲になるからあなた達は幸せになって。という姿勢は過去のものとして、あなた自身を大切にして欲しい。それが子の喜び。自分の身の周り、使うもの、生活空間を美しく、清潔に整える掃除は、自分を大切にするということ。健康で楽しくあって欲しいと恥ずかしがらずに親にも言えるようになってきた。
二日ほど、一人で掃除をやってみて、あ〜ダメだ。と何度か心が折れそうになった。家の全てを一人で掃除は出来ない。
一家の主人が掃除に無意識に反対(めんどくさいなど)していると、面白いほど掃除が進まない。人の家の掃除の経験から得た知恵。
そーだ、一緒に掃除をしたらいいんだ!と、気づく。
とめどなく出てくるアイディアをメモしながら、どう伝えたら受け入れ易いかを考える。
最初は不機嫌になった父。でも、大きな器の彼はもうその日に仕事を休んで身の周りの掃除を始めた。元々、綺麗好き。始めたら途中で辞められなくなる。自分の思う完璧になるまで。だからこそ、掃除を始めなかったりする。
それにしても、仕事休まなくても。。笑
極端。そこは受け継いだ僕。
基本的に人と接する時はアスペルガーの性質を意識してみる。相手を理解しやすい。
両親とちょっとずつ掃除を始めています。
アスペルガーについて
カタチではない資産をいっぱいに抱えて
生きる上で大切なものはなんだろうか。一つに絞るのなんてナンセンスかもしれない。今、すごく驚いていることがある。
やんばるに行く前と今の自分が別人のようだということ。不思議なくらいに。
焼き物の仕事で雑用など、つまらなさしか感じていなかったり。極度の飽き性だった自分が草刈りでさえも楽しく感じれる。喜びが湧き上がる。
視野が狭く、感じられない自分だった。それが視野が広がり、アイディアが降りてきて、感じられる自分になった。今、振り返ってわかる。
この振り返ってわかる。というのが、成長なのかもしれない。
やんばるでの生活は給料はない代わりに、スタッフとして生活費はただだった。
今の社会の枠組みではちょっと特殊だ。
いわゆる、有形資産であるお金を介さない生活(僕個人でみると)。
不思議とまで感じる、この成長は無形資産の賜物だ。それは自分についての理解、暮らしの基礎、人との関わり、初めてのことへの挑戦という経験、など更に深い所まで。
カタチではないから、わからなかったけれど、以前と比較できる環境に身を置くと驚くほど違う。もちろん、まだまだおこちゃまな部分をたくさんあるが。
踊り出したいくらいに嬉しい。
有形資産、無形資産、そしてこれからの生き方の参考にキットなる本{おすすめ}
LIFE SHIFT
何度も、も〜〜。ってなりながら。
両親と、自分と向き合う時間。
生きることをただの修行にしてはもったいない。
楽しむことを忘れず、今、一つずつ進もう。
やわらかく
どんなカタチにでもなり
こだわり や 執着とは違った
芯からの硬い意思を持つ
今日が始まり🌈🙌😆