ゆっくり、こつこつ、時をためて
おじぃ。泊まり込んでおじぃの写真を撮ったりした。今までの関係性が変わっていくのが嬉しかった。大好きなおじぃ。
掃除まみれの日々
日課の掃除は続いております。実家に帰って来て、もう1ヶ月が経った。最近は朝4時に起きれなくなっていることも多いが掃除はちゃんとやっています。今、何が大切か想いを巡らせた結果、掃除だとわかった。父にお願いをして、午前中は焼き物の仕事に取り組み、午後は思いっきり掃除に勤しんでいます。それと、姉夫婦の協力もあってスピードアップして参りました。
定期的に訪れる友人の女性陶芸家が、ちょっと前に家の中に入り「風が変わった」と言ってくれました。つい最近来た時は「うわぁぁぁああーーーー!!!!」と感激の甲高い雄叫びをあげていたようで、それを父は忠実に再現してくれました。(のど、つぶれたと思いました)
粗大ゴミを一気に5つほど初めて出した時、本当になくなるんだね〜。と父が感慨深そうに言った。あぁ、諦めていたんだね。と思った。
両親の中に眠る諦めやスネをひっくり返ていく、「小さな奇跡」を日々起こしているのであります。
片付いていないをどう観るか
掃除をしているとイライラすることが多かった。そうなると腎がジンジン痛くなる。怒りだ。焦ると、イライラに切り替わっていく。いつの間にか自己犠牲の被害者意識が顔を出す。ゆっくり、ゆっくり。何度も自分を整える。尊敬する方から、戦場カメラマンの渡辺陽一さんを見習いなさい。とアドバイスを受けた。ゆっくり、ゆっくり、こつこつ、時をためて。取り組もう。
家の中で生活をしている限り、片付いていないとそれが目に入る。それに対しジャッジをすると、片付けていないという責任を背負い、それが積もって行くと動けなくなった。「出来ていない」を集めた結果、出来ない自分を創った。
ジャッジをし続けていたので、「片付けないと!」という所・物を見つけたら、心の中で「そうなんだね」と呟いてみたりした。ジャッジではない理解を示したかった。器用な取り組みではないかもしれないが実験だ。感触としては良い感じでした。
その一歩先、未来に置くということを今はしている。それぞれにどこに行くのか、誰に選別してもらうのかという予定を付箋に書いて、ペタペタ貼っている。少しづつではあるが空間が整ってきている。
顔を出す昔の想い
前回の記事をカフェで書いていると友人にばったり会った。幼かった教え子はいつの間にか1児の母になっていた。おかあさんになっていた。、母って強くて美しいなぁとなんだか嬉しかった。パートナーとの関わりの中で母との記憶、昔の想いを無意識に思い出すようだ。思い出し、わさわさしていると子供が泣き出すのだという。昔の記憶の話を聴くと、僕が号泣しそうになった。とてもとても寂しかったのだと思う。泣いていんだよ〜。と言うと、本人は自覚していない。
彼女が感じている寂しさは、彼女の母が抱いていた寂しさでもあるなぁ〜。と想った。
こういったことは多いのかもしれない。僕にもあったこと。
母に伝えてみたら?と提案する。 どうしようかなぁ〜。
ハグしてみたら?と提案する。 ぜっっっっっっったい、いやッ!
笑。
親は、だぁ〜〜〜〜い好きすぎて、大嫌いなのであります。笑
大切な友人。いつもありがとう。
意欲の源を探して
僕は今、ある種のタブーに取り組んでいるのかもしれない。「家族」について話すのは一番身近なタブー、と勝手に感じている。そして、その中での取り組みを書き記すことは、一般的には非常識だと思う方も多いのかもしれない。
なぜ、こんなにも家族に気持ちが向かうのだろうか。
自分という存在を形成する上で「家族」は切り離せない。その人にとっての社会の縮図がそこでまず出来上がる。それを社会に出て投影していく。と学び、体感してきた。
親のせいにする。ということでは、自分の人生を他人に振り回される「被害者意識」に入っていくが、親の存在の影響は多大だ。その影響を自覚し、今の自分に必要なのか、自分の希望に沿って選択していくのは大切だと思う。主体を自分に戻して行く。
それらを踏まえた上で、
家族、みんなで希望に生きる。ということに取り組んでいる。
死んで答え合わせをするのも悪くないかもしれない。
でも、僕は生きている今、
今、喜びを分かち合いたい。
だから、両親の忘れかけた希望を呼び起こしている日々を送っているのだと思う。
それが子供に波及する。
焼き物を買いに訪れるお客さんに波及する。
希望を、豊かさを拡げる。
毎日、おかぁの所に誰か行けたらなぁ。
と、ふと父が言う。
父と話していると、意欲の源が彼の母に大きく在ると感じる。
彼の中では、毎日誰かがおばあちゃんに会いに行くということはない、と思っている。
自分にできることはしようと決めた覚悟と、自分一人ではどうにも出来ない悲しさと諦めがにじむ。
この小さな諦めに、奇跡は眠っていると直感した。
この家族で毎日訪れるようにしようか。と思うより早く言っていた。
翌日、昼休みを終えておばぁちゃんのいる病院へ向かう。
記憶がおぼつかないおばぁ。誰かわからないつるつる頭を見て、寒くないね〜。の一言。
色々話してみが、喋ったのはその一言だった。
思い返してみると、このおばぁを僕はどれくらい知っているだろうか。知らなすぎて驚いた。
これからこのつるつる頭を何度も見ることになるのですよ、おばぁ。
母方のおじぃは写真で深めていった。
今回は色んな人から、おばぁのストーリーを集めてみようと思う。
おじぃの写真を展示した写真展の記事
うごく足
つかむ手
みえる目
かげる鼻
きける耳
はなす口
が僕にはある。
どこに行き
何をつかみ
何をみて
何を嗅ぎ
何を聴き
何を話すのか。
全部自分で選べる。
自分をどうさせたいのか。
いつだって行き着く所は
シンプルだ。
今日、居間をしっかり綺麗にした。
帰ってきた父がそれを見て、
「笑ってるよ〜♪ 笑ってるよ〜♪」と踊るように言う。
姉が「誰が?」と聴くと、
「わたしが。」と父。
あなたですかッ!!!!!
少なくとも、我が家の父はシンプルです。笑
小さな奇跡のつみかさね✨🌈🌈🌈🌈🌈