LIFE実験記

日々の試行錯誤、トライ&エラーを通して成長中

あれもこれもハグ

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伝えて、伝わり、共に喜ぶ

 ブログを書き始めて4ヶ月が経とうとしている。顔を合わせた人には感想など聞く機会はあったりするが、基本、読んでくれる方にどのように受け取られているのかはわからない。最初の頃は怖くて不安で堪らなかった。自分を表現する挑戦は、表現する喜びに変わってきた。こうしてブログを書いていると、不思議と自分の言葉ではないように思えたりする。書いた文章を読み、こんなこと思ってたのかと驚くことも多い。なんだか自分の本質と繋がれるようで、その時間はかけがいのないものになってきている。

ある意味自分をさらけ出して、日常から何を気づき何を学んだかを書いているブログ、読み手にはどう映っているのか知りたくて、前回の記事に感想を良ければどうぞと文末に添えてみた。ささやかな新たな試み。

 

お会いしたことのない方からもメッセージが届く。嬉しい。

ある方は記事を読み、涙が流れることがあるようで感謝の言葉が綴られていた。もう、言葉が出ないのであります。ご自身を省みての気づきも書かれていた。美しいなと思う。前回の記事に書いたハグの実験、

介護をする母と1分間のハグにトライしたようで、こちらが泣きそうになる。気づきにつなげたのも、行動に移したのもご自身の意思の賜物。ただそのキッカケになれたのは言葉に尽くせない喜び。

恋文を受け取ったような余韻が残る。

あぁ、伝わってるんだ。 伝わってるんだ。

嬉しいなぁ。うれしい。

 

自分自身のためにも書いているブログ。

それが伝わり、喜び合えることに驚き、感動した。

読んで頂きありがとうございます。

 

 

 

わかってちょうだいなぁ〜♪という想い

 沖縄のやんばるの森での生活、大切な仲間との時間は「わかってもらえる」という想いを育てていたのだと、ふと思った。

以前、約8年に及ぶ長い長い風邪のような時期に僕は、「わかってもらえない」を育てていた。自分の気持ちや、状況を話すと大切な友人たちは共に悲しんだ。僕がつらかったから、つらさを共有した。

大切な友人たちだから、悲しんだり、辛い想いをさせるのはいやだなぁ。と思った僕は、自分を出すの禁止していった。これは見せちゃだめ。あれもだめ。

すると、自分だめ。になっていた。それが当時の自分ができる優しさだった。

これじゃあ、人に会ってはいけないよ。と、引きこもるようになった。

いつしかわかってもらえないと思うようになっていった。

 

今、振り返って思うのは、ただ「そうなだんね〜」と聴いて欲しかった。それだけなのだ。ただただ聴いて欲しかっただけ。

 

 

幼稚園から帰ってきた子供が、母に、父に向かって「今日ね、あのね、こんなことがあったんだよ!」と言い、

母が、「あら、そうなの〜!よかったね〜。たのしかったね。」と答えるように。

父が、「お〜!そうか、よくやったな〜。よしよし。」と言うように。

 

わかってくれない。には、

わかってほしい。が眠っている。

 

「聴いて欲しい」「観て欲しい」という想いがこじれると、自分を過剰に着飾ってみたり、悲劇のヒロインにしてみたり、 無意識に求め続けた。僕の場合はそうだったと思う。

 

 つたわることもある。

 

 伝え合うことをひとつひとつ丁寧にした、やんばる生活の中で育てた想い。

 

愛着と距離感/ハグの実験のその後

 

ハグの実験について

krainbow.hatenablog.com

 

 

 ハグの実験は、10日目を迎えました。

 決まりごととして最初はやってみた。父と母、それぞれ1分間のハグ。

ハグをしてみて、

照れや恥ずかしさの先には、

 

 

 

愛されている、という安心感

一緒という、

「心地」があった

 

僕の体のはじまりはお母さんのお腹の中

愛に包まれ、母と一緒にあった

それが、生まれることを通して

べつべつを感じた

 

自分が個であり一人だと思うと

孤独で途方もなく寂しくなったりした

けれど、

ハグをするとその

愛の中にある感覚や

一緒であるという絶対的な安心感を

思い出す

 

その心地を思い出せたら、

ハグ以外にも

その心地はあった

 

抱き合うハグ

「そうなんだね〜」というハグ

まなざしというハグ

 

それら全てに、同じ「心地」を感じられるようになるのだ

 

1つという愛が

さまざまな見え方になっているだけだった

 

最初は母のお腹の愛(ハグ)から

さまざまな表現の愛(ハグ)を知り、豊かになる

 

それはくっつくことしか知らなかった愛着が

人との距離感があっても愛(ハグ)はあると落ち着く

情緒が落ち着く

 

のだと、繋がった。

毎日の決まりごととしてのハグに違和感を覚えた。

 

今日はハグではないなぁ。

握手にしよう。

そっとしておこう。

見守ろう。

声をかけよう。

 

それら全てが愛の表現だった。

両親から、その多様な表現の愛を受けてきたことに気づいた。

勘違いがたくさんあったのだ。

 

krainbow.hatenablog.com

 

 

父とのハグをし終えて、父は彼の母に会いに病院へ行く。

「今日はおかぁともハグしてこようかね。」と父は言い、

「俺のハグも届けてね〜。」と僕は言う。

母は笑う。

 

 

 

 

 

 愛はそこら中に溢れている🙌✨🌈🌈🌈