LIFE実験記

日々の試行錯誤、トライ&エラーを通して成長中

風を感じて

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愛する娘ちゃん♪

 

ベッド上でほぼ全ての時間を過ごす日々

漫画に夢中になって

海外ドラマに夢中になって

初めてゲームアプリをダウンロードして夢中になって

 

すぐ意味や目的と結びつけようとしちゃう思考を置いて

ただ夢中になることを自分に赦す日々

 

曇り空の今日

少し空いた窓からピューピュー音を立てながら風が入り込み

ベットを包むカーテンを撫でて

風を感じました

なんかそれだけで気持ち良くて

嬉しくて

 

左手には

動脈と繋がれて大きくなった静脈がびゅんびゅんと

鼓動をそのまま伝えてくれます

 

明日はこの血管から透析を行います

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家族3人での生活間近♪

 

https://youtu.be/uACg517mGSw

 

 

ドッと近況報告

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チェコプラハにて

 

お久しぶりの方もはじましての方も

ひっっっさしぶりにブログを書いてみます。

 

前回の記事を書いて1年4ヶ月経ちます。この期間にこんなにも⁉︎と思うほど変化がありました。

結婚して、第一子の娘が生まれ、これを書いている今は病院のベッドにて透析中であります。

 

こう振り返ってみると1年4ヶ月前の「今」という地点より様々な選択肢から選びこの現実に立っているのですが、心震える幸せも悲しみの谷を掘り下げる出来事もあったのです。

 

自分にとって大切だと思う価値観で自分を観ると、人として豊かさが増したなぁ〜と思います。

幸せを思う存分感じることはもちろん、避けて通りたがっていた悲しみの谷を掘り下げる出来事でさえ、僕という人を彩りある豊かな人として育ててくれる機会であるなぁ〜と驚きを持って感じています。

本当に不思議です。感動で涙でちゃうくらいに。

 

 

今日はここまでに。

益々、生きております。

 

 

君は何がしたい?

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ひかる鶴✨🌈

 

以前の自分に背中を押される

 過去の自分から励まされたり、勇気づけられたことはあるだろうか。成功したり、苦難を乗り越えた人が昔の自分にこう伝えたいです。という場面を目にしたことがある。

最近、それとは反対に昔の自分に感動をもらった。(これはきっと自画自賛です。笑)

絵を描いたり、詩のような軽い言葉遊びを筆で描いたりして人にプレゼントしていた時期があった。自分のために何かを書くor描くということにはあまり興味がなく、ちょっと落ち込んでいたり、自信を無くした人にその人の良さに気づいて欲しくて形にして表現していた。

そんな時に心が動いて、生まれてくるものがあった。

(気になる女性へもプレゼントしておりました。笑)

そんないろんな作品も誰かの手に渡ったか、手元にあった実物もデータも一つも残していないので忘れていた。

先日、長い付き合いの親友がぼくの作品たちの写真をたっくさん残してくれていて、観せてもらった。

その当時の僕を親友は、洞窟の中から光を飛ばす人と比喩していたのだけれど確かに洞窟の中から飛ばしていたのだと思う。

友人の大切な友人に、会ったことのないその人へ向けた言葉と絵。友人の入院した友人に向けた言葉と絵、外に出られなくなってもがきながら描いていた絵の数々。沢山生み出して来ていた。

 

強く生きていた。

 

時間を超えて自分に届いた。このままでいいんだ。と力がこもった。

意図せず、あの時の自分に背中を押されていた。

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入院中に描いた点描画。気になる看護助手にプレゼント✨🌷

 

 

 

君は何がしたい?

最近はありがたいことに焦がれるような職業、主にクリエイターの方との出会いに恵まれている。映画監督や、大好きなテレビ番組のディレクターなど。

クレエイティブディレクターの方(マイケルジャクソン「THIS IS IT」のアジアツアー担当していたり色々と凄かった)とお話させていただいたのだけれど、

シンプルで、

「君は何がしたい?」と問われた。

世界の人口、76億人いるからあなたの表現したいことを求める人は見つけられるし、世に出していく方法も沢山ある。それは広める方法に過ぎない。

あなたが何をしたいか?だよ。

本気の人には協力するよ。という趣旨の話をしてくれた。

 

答えられない自分がいた。

自己満でまずやるのが大事、そのピークは人に伝わる。と言われ困惑した。

今までは、誰かが居て表現が生まれていた自分。ある意味いい子ちゃんをしていたのだとも思う。

自分を満たす表現は何か?

 

何だろうか?

 

新しい窓が開きそうだ。

なんだかワクワク、ときめく。

 

 

 

さぁ、何をして楽しもうか❓✨🌈🌈🌈

 

お盆でワイワイ♪

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お盆には至る所でエイサーが聞こえてくる。写真は子供たちの棒術。

 

 

 

自分に飽き飽き

 ある程度、家が綺麗になってきた。掃除のペースを落とし仕事に全力を注ぐ。やりたいことは沢山あるが、まずは陶芸でプロフェッショナルを目指します。

実家に帰ってきて一ヶ月半、掃除にも飽きたことに気づいた。3日坊主の僕がよく続いたなぁ〜と笑えてきた。そして掃除は飽きとは関係なく日常の営みだよね、と再確認して緩やかに続いております。「自分を大切にしたいよね」という所から自分の居る空間を整えております。

繰り返しの日常になると、外へ外へと刺激を求める自分がいる。自分がしていること、自分を感じることを忘れ、喜びはないとしてしまう。だから、継続するのが一番苦手だった。今、在る喜びに目を向けよう。

姉夫婦の家の掃除を手伝いに行った。そこでテンションが上がって掃除を心の底から楽しんでいる自分がいた。掃除に飽きたのではなかった。

 

お盆にて集う

 沖縄のウークイ。ご先祖さん達を送り返すお盆の最後の日。その日には決まって親戚がおじぃおばぁの家に集う。今までは「きまりごと」として迎えていたのが、今回は違った。

写真や自分の命、家族と向き合う中でぼくは命のバトンを受け取ってきたという事実を実感した。そして、バトンを手渡してくれた両親、おじぃおばぁに感謝を伝えてきた。また彼らもバトンを受け取った存在で、この命のリレーは、ずっと、ずっと続いてきた。今、ぼくが手の届く範囲でも知りたいと思う。

おじぃおばぁの両親はどんな人だったのだろうか。線香を供えながら、ふと心の中で思った。僕が産まれたころにはもういなかった。母方の実家では、親戚が集えば司会付きでみんなで乾杯をする。今回はそのお馴染みのやつにトッピングが加わっていた。おじぃが彼の両親の話をみんなでしようと提案した。

おじぃの子供4人がそれぞれのおじぃおばぁの体験を話す。それにみんなで耳を傾ける。

「おれは断然、おばぁっ子だった。」

「おれはみんなおばぁのところにいくから、おじぃのところに行くしかなかったよ。」笑

「私はおばぁに可愛がられたよ〜。」

 

おじぃの両親を感じ、それぞれの話にみんな笑い、そんなことあったのかと驚く。数十年経った今、ぼくの親たちも新しい事実を受け取り喜ぶ。彼らのおじぃおばぁにたいしてあの時の後悔に涙を流す場面もあったり。

話を聞いていたおじぃが最後にみんなに伝える。なぜ、うみんちゅ(漁師)を辞め、はるさー(農家)になったのかを知る。仏壇に飾られている方々の素晴らしい所を(おちゃめな所を含め。笑)それぞれが受け継いでいるのだと理解した。みんなもそのようだった。

みんな話したいことは沢山あるのだと思う。結局の所、伝え合う喜びを経験したことがないだけなのかもしれない。

おじぃの話、聞いてるよ〜。そうだったんだね〜。伝わってるよ〜。と通った日々で、おじぃは「伝わるんだ」という思いを育んだのだと思う。

彼の開いた心に子達も感情の窓を開いた。みんなで喜び、閉まっていたそこに新しい風が入る。

ぬくもりを帯びた喜びが残る。

 

帰り際、心にずっと閉まっていたひぃおばぁへの想いを話してくれたおじさんが、握手を求めてきた。ずっと話しを聴いていただけなのだけれど、伝わっているだな〜と嬉しかった。

 

きっと、ご先祖の方々もほのぼのした気持ちで帰れたのではないだろうか。

 

 

去年、初めて海外旅行に行った。

最初の国に選んだパプアニューギニア

チケットを取り終えてからその国の情報を調べ始めた。

危険だという情報ばかりが見つかり怖くなった。

あ〜どうしよう、こわい〜、あ〜こわい。していたぼく。

そんな時、ぼくが小学生の頃亡くなったひぃおばぁが来てくれた。

仲間が言葉を伝えてくれた。

残念なことに伝えてくれてる人も、ぼくもあまり方言がわからない。笑

そばにいた方言がわかる人に通訳してもらう。

 

「あんたのその手があれば、どこいっても大丈夫だよ〜。

 楽しんでくるんだよ〜。何も心配することないさ〜。」

 

怖がるぼくに愛を送ってくれたひぃおばぁ。

ついでに生み出せる手だと褒めてももらって、もうご満悦。

あれ、さっきまでの恐怖と不安は何処へ行った?

目に見えなくたって、いつでも手を差し伸べてくれる方々。

 

もちろん、あなたもあなたを愛する方々がいつだって見守ってくれている。

と、ぼくは思います。

たとえ、そう思えなくとも。

 

 

今、ぼくらが幸せで在ることで彼らも一緒に高く上がっていくようです。

まずは、自分から。

 

 

www.instagram.com家で実ったパイナップル

 

NEXT STEP

 最近、久しぶりに身体を鍛え始めた。病気だった頃が長く、その身体に慣れ親しんでいた。スポーツをやっていた時の身体を思い出そうと身体と相談しながら取り組んでおります。やりたいことは沢山ある。元の病気だった頃に癖で戻ろうとなる時がたま〜にあった。もう、戻っている暇なんてない。戻る必要もない。感謝と共に次へ進む時であります。

前提を、「健康で在ることが当たり前」に書き換えている。

もちろん、その健康への感謝を持って。

 

 

 

 

 

 

希望を生きる🌈✨🙌

 

 

 

ゆっくり、こつこつ、時をためて

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おじぃ。泊まり込んでおじぃの写真を撮ったりした。今までの関係性が変わっていくのが嬉しかった。大好きなおじぃ。

 

掃除まみれの日々

 日課の掃除は続いております。実家に帰って来て、もう1ヶ月が経った。最近は朝4時に起きれなくなっていることも多いが掃除はちゃんとやっています。今、何が大切か想いを巡らせた結果、掃除だとわかった。父にお願いをして、午前中は焼き物の仕事に取り組み、午後は思いっきり掃除に勤しんでいます。それと、姉夫婦の協力もあってスピードアップして参りました。

 

定期的に訪れる友人の女性陶芸家が、ちょっと前に家の中に入り「風が変わった」と言ってくれました。つい最近来た時は「うわぁぁぁああーーーー!!!!」と感激の甲高い雄叫びをあげていたようで、それを父は忠実に再現してくれました。(のど、つぶれたと思いました)

 

粗大ゴミを一気に5つほど初めて出した時、本当になくなるんだね〜。と父が感慨深そうに言った。あぁ、諦めていたんだね。と思った。

 

両親の中に眠る諦めやスネをひっくり返ていく、「小さな奇跡」を日々起こしているのであります。

 

片付いていないをどう観るか

 掃除をしているとイライラすることが多かった。そうなると腎がジンジン痛くなる。怒りだ。焦ると、イライラに切り替わっていく。いつの間にか自己犠牲の被害者意識が顔を出す。ゆっくり、ゆっくり。何度も自分を整える。尊敬する方から、戦場カメラマンの渡辺陽一さんを見習いなさい。とアドバイスを受けた。ゆっくり、ゆっくり、こつこつ、時をためて。取り組もう。

 

家の中で生活をしている限り、片付いていないとそれが目に入る。それに対しジャッジをすると、片付けていないという責任を背負い、それが積もって行くと動けなくなった。「出来ていない」を集めた結果、出来ない自分を創った。

 

ジャッジをし続けていたので、「片付けないと!」という所・物を見つけたら、心の中で「そうなんだね」と呟いてみたりした。ジャッジではない理解を示したかった。器用な取り組みではないかもしれないが実験だ。感触としては良い感じでした。

 

その一歩先、未来に置くということを今はしている。それぞれにどこに行くのか、誰に選別してもらうのかという予定を付箋に書いて、ペタペタ貼っている。少しづつではあるが空間が整ってきている。 

 

 顔を出す昔の想い

 前回の記事をカフェで書いていると友人にばったり会った。幼かった教え子はいつの間にか1児の母になっていた。おかあさんになっていた。、母って強くて美しいなぁとなんだか嬉しかった。パートナーとの関わりの中で母との記憶、昔の想いを無意識に思い出すようだ。思い出し、わさわさしていると子供が泣き出すのだという。昔の記憶の話を聴くと、僕が号泣しそうになった。とてもとても寂しかったのだと思う。泣いていんだよ〜。と言うと、本人は自覚していない。

彼女が感じている寂しさは、彼女の母が抱いていた寂しさでもあるなぁ〜。と想った。

こういったことは多いのかもしれない。僕にもあったこと。

母に伝えてみたら?と提案する。 どうしようかなぁ〜。

ハグしてみたら?と提案する。  ぜっっっっっっったい、いやッ!

笑。

親は、だぁ〜〜〜〜い好きすぎて、大嫌いなのであります。笑

 

大切な友人。いつもありがとう。

 

 

 

意欲の源を探して

 僕は今、ある種のタブーに取り組んでいるのかもしれない。「家族」について話すのは一番身近なタブー、と勝手に感じている。そして、その中での取り組みを書き記すことは、一般的には非常識だと思う方も多いのかもしれない。

 

なぜ、こんなにも家族に気持ちが向かうのだろうか。

 

自分という存在を形成する上で「家族」は切り離せない。その人にとっての社会の縮図がそこでまず出来上がる。それを社会に出て投影していく。と学び、体感してきた。

 

親のせいにする。ということでは、自分の人生を他人に振り回される「被害者意識」に入っていくが、親の存在の影響は多大だ。その影響を自覚し、今の自分に必要なのか、自分の希望に沿って選択していくのは大切だと思う。主体を自分に戻して行く。

 

それらを踏まえた上で、

家族、みんなで希望に生きる。ということに取り組んでいる。

 

死んで答え合わせをするのも悪くないかもしれない。

でも、僕は生きている今、

今、喜びを分かち合いたい。

 

だから、両親の忘れかけた希望を呼び起こしている日々を送っているのだと思う。

それが子供に波及する。

焼き物を買いに訪れるお客さんに波及する。

希望を、豊かさを拡げる。

 

 

 

 

毎日、おかぁの所に誰か行けたらなぁ。

 

と、ふと父が言う。

父と話していると、意欲の源が彼の母に大きく在ると感じる。

彼の中では、毎日誰かがおばあちゃんに会いに行くということはない、と思っている。

自分にできることはしようと決めた覚悟と、自分一人ではどうにも出来ない悲しさと諦めがにじむ。

 

この小さな諦めに、奇跡は眠っていると直感した。

この家族で毎日訪れるようにしようか。と思うより早く言っていた。

 

翌日、昼休みを終えておばぁちゃんのいる病院へ向かう。

記憶がおぼつかないおばぁ。誰かわからないつるつる頭を見て、寒くないね〜。の一言。

色々話してみが、喋ったのはその一言だった。

思い返してみると、このおばぁを僕はどれくらい知っているだろうか。知らなすぎて驚いた。

これからこのつるつる頭を何度も見ることになるのですよ、おばぁ。

 

母方のおじぃは写真で深めていった。

今回は色んな人から、おばぁのストーリーを集めてみようと思う。

 

おじぃの写真を展示した写真展の記事

krainbow.hatenablog.com

 

 

 

 うごく足

 つかむ手

 みえる目

 かげる鼻

 きける耳

 はなす口

 が僕にはある。

 

 どこに行き

 何をつかみ

 何をみて

 何を嗅ぎ

 何を聴き

 何を話すのか。

 

 全部自分で選べる。

 自分をどうさせたいのか。

 いつだって行き着く所は

 シンプルだ。

 

 

 

 

今日、居間をしっかり綺麗にした。

帰ってきた父がそれを見て、

「笑ってるよ〜♪ 笑ってるよ〜♪」と踊るように言う。

姉が「誰が?」と聴くと、

「わたしが。」と父。

あなたですかッ!!!!!

 

少なくとも、我が家の父はシンプルです。笑

 

 

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小さな奇跡のつみかさね✨🌈🌈🌈🌈🌈

 

 

 

 

 

 

 

 

あれもこれもハグ

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伝えて、伝わり、共に喜ぶ

 ブログを書き始めて4ヶ月が経とうとしている。顔を合わせた人には感想など聞く機会はあったりするが、基本、読んでくれる方にどのように受け取られているのかはわからない。最初の頃は怖くて不安で堪らなかった。自分を表現する挑戦は、表現する喜びに変わってきた。こうしてブログを書いていると、不思議と自分の言葉ではないように思えたりする。書いた文章を読み、こんなこと思ってたのかと驚くことも多い。なんだか自分の本質と繋がれるようで、その時間はかけがいのないものになってきている。

ある意味自分をさらけ出して、日常から何を気づき何を学んだかを書いているブログ、読み手にはどう映っているのか知りたくて、前回の記事に感想を良ければどうぞと文末に添えてみた。ささやかな新たな試み。

 

お会いしたことのない方からもメッセージが届く。嬉しい。

ある方は記事を読み、涙が流れることがあるようで感謝の言葉が綴られていた。もう、言葉が出ないのであります。ご自身を省みての気づきも書かれていた。美しいなと思う。前回の記事に書いたハグの実験、

介護をする母と1分間のハグにトライしたようで、こちらが泣きそうになる。気づきにつなげたのも、行動に移したのもご自身の意思の賜物。ただそのキッカケになれたのは言葉に尽くせない喜び。

恋文を受け取ったような余韻が残る。

あぁ、伝わってるんだ。 伝わってるんだ。

嬉しいなぁ。うれしい。

 

自分自身のためにも書いているブログ。

それが伝わり、喜び合えることに驚き、感動した。

読んで頂きありがとうございます。

 

 

 

わかってちょうだいなぁ〜♪という想い

 沖縄のやんばるの森での生活、大切な仲間との時間は「わかってもらえる」という想いを育てていたのだと、ふと思った。

以前、約8年に及ぶ長い長い風邪のような時期に僕は、「わかってもらえない」を育てていた。自分の気持ちや、状況を話すと大切な友人たちは共に悲しんだ。僕がつらかったから、つらさを共有した。

大切な友人たちだから、悲しんだり、辛い想いをさせるのはいやだなぁ。と思った僕は、自分を出すの禁止していった。これは見せちゃだめ。あれもだめ。

すると、自分だめ。になっていた。それが当時の自分ができる優しさだった。

これじゃあ、人に会ってはいけないよ。と、引きこもるようになった。

いつしかわかってもらえないと思うようになっていった。

 

今、振り返って思うのは、ただ「そうなだんね〜」と聴いて欲しかった。それだけなのだ。ただただ聴いて欲しかっただけ。

 

 

幼稚園から帰ってきた子供が、母に、父に向かって「今日ね、あのね、こんなことがあったんだよ!」と言い、

母が、「あら、そうなの〜!よかったね〜。たのしかったね。」と答えるように。

父が、「お〜!そうか、よくやったな〜。よしよし。」と言うように。

 

わかってくれない。には、

わかってほしい。が眠っている。

 

「聴いて欲しい」「観て欲しい」という想いがこじれると、自分を過剰に着飾ってみたり、悲劇のヒロインにしてみたり、 無意識に求め続けた。僕の場合はそうだったと思う。

 

 つたわることもある。

 

 伝え合うことをひとつひとつ丁寧にした、やんばる生活の中で育てた想い。

 

愛着と距離感/ハグの実験のその後

 

ハグの実験について

krainbow.hatenablog.com

 

 

 ハグの実験は、10日目を迎えました。

 決まりごととして最初はやってみた。父と母、それぞれ1分間のハグ。

ハグをしてみて、

照れや恥ずかしさの先には、

 

 

 

愛されている、という安心感

一緒という、

「心地」があった

 

僕の体のはじまりはお母さんのお腹の中

愛に包まれ、母と一緒にあった

それが、生まれることを通して

べつべつを感じた

 

自分が個であり一人だと思うと

孤独で途方もなく寂しくなったりした

けれど、

ハグをするとその

愛の中にある感覚や

一緒であるという絶対的な安心感を

思い出す

 

その心地を思い出せたら、

ハグ以外にも

その心地はあった

 

抱き合うハグ

「そうなんだね〜」というハグ

まなざしというハグ

 

それら全てに、同じ「心地」を感じられるようになるのだ

 

1つという愛が

さまざまな見え方になっているだけだった

 

最初は母のお腹の愛(ハグ)から

さまざまな表現の愛(ハグ)を知り、豊かになる

 

それはくっつくことしか知らなかった愛着が

人との距離感があっても愛(ハグ)はあると落ち着く

情緒が落ち着く

 

のだと、繋がった。

毎日の決まりごととしてのハグに違和感を覚えた。

 

今日はハグではないなぁ。

握手にしよう。

そっとしておこう。

見守ろう。

声をかけよう。

 

それら全てが愛の表現だった。

両親から、その多様な表現の愛を受けてきたことに気づいた。

勘違いがたくさんあったのだ。

 

krainbow.hatenablog.com

 

 

父とのハグをし終えて、父は彼の母に会いに病院へ行く。

「今日はおかぁともハグしてこようかね。」と父は言い、

「俺のハグも届けてね〜。」と僕は言う。

母は笑う。

 

 

 

 

 

 愛はそこら中に溢れている🙌✨🌈🌈🌈

 

 

 

 

愛し方の共通項

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やっぱり海はいいなぁ〜

 

最高だなぁ〜の応酬

 少し前に、僕のブログを読んで友人が会いに来てくれた。週末の休みを利用して飛行機で会いに来てくれたことに感動した。ブログを書いてそんなことが起こるとは想像していなかった。数年振りに会えた喜びを分かち合って、お互いに近況報告をする。社会人として色々あるようだが、そんな中でも休日には街中を一人、ゴミ拾いして歩くようだ。彼自身の為にしている行動に、

最高だなぁ〜と言うと、

「いやいや、たまにしかできてないんだよ。」と申し訳なさそうに答えた。

照れと謙遜。そして、罪悪感。

彼の理想まで届いていないかもしれないが、行動を起こした事実、街からゴミが減った事実にはかわりない。罪悪感を抱いていることがなんだか不憫で、おせっかいにも言い直そうよ、と提案した。

 

「最高だなぁ〜!』

「おんおん」と照れながらニヤニヤ頷く友人。笑

 

 

大きな空のコップに、ちょん。ちょん。と水を注ぐ。

コップが水で満たされていないのを嘆くのか。

注げている自分を感じて喜ぶのか。

 

前者には、比較があり、

後者には、主体性と自分を感じるという意識がある。

 

 

友人から気づかせてもらった。対面する人は総じて、学びと気づきを与えてくれるメッセンジャーだと思う。

 

やめたい!やめたい!星人

 久しぶりに友人と電話をした。今季から沖縄を出でウエディング業界に就いた彼。病みそう、やめたい、という彼の話を聞いて笑った。最後にはお互い笑った。

仔細省くが、深刻そうに丁寧に愚痴をこぼす彼の言葉の奥にあったのは「ほめてくれない〜。」という想い。ほめてくれなくてスネていたのだ。なんだか、拍子抜けて笑ってしまった。釣られて彼も笑う。僕も同じところがある。元をたどれば親に褒められたいのだ。自立していない幼さを彼と、自分の中に見つけ、二人で爆笑していた。

感じたことを伝えると、素直に「だぁるやっさ。(そうだなぁ。)」と受け入れてくれた。友人達は素直だ。

彼が参加して創ったウエディングに参列した少年が、感嘆の声をあげていたようだ。それを観てやりがいを感じたと言う。そんな仕事をしている自分をどう想うか?と問いかけると、

「??????。考えたことないやっさ。」という彼。

ベクトルを自分に向けることを忘れていたのだと思う。

 

主体が自分に無いと、周りに振り回される。環境や相手によって感情のジェットコースターに乗る。

自分を感じることが、外へ向きがちな意識を自分へとたぐり寄せるステップだと最近は感じている。

 

ゴミ拾い星人と、やめたい!やめたい!星人に気づかせて貰えた。自分にもハッキリと彼らと同じような所があるので、彼らを通して、我が振りなおす日々です。大切な友人達。

 

 

https://www.instagram.com/p/Bhq4AMQntx7/

作業場#work#diy

 

新しい実験を始めています 

 僕にはどうしても、手放せなかったものがある。

「砂糖」だ。

周りに言われても砂糖の体に与える影響を知っても切れなかった縁を今は切っている。

甘いものを手放せなかった自分の奥には甘えたいという想いがあった。甘えることを許していなかった自分は砂糖をとることで埋め合わせていた。それがいつしか、砂糖中毒になっていた。

何者でもない自分を受け入れて欲しい。愛して欲しい。という無意識の想いは、自分を病気にしてまで愛する人を試すところまで発展した。

命を駆け引きに使わないと決めたので、まっすぐ、砂糖という代用ではなく「甘えたい想い」から向き合ってみようと考えた。

そして、僕1人の"甘えたい想い"を、僕以外の人も関わる"愛し合う"に変換してみた。

自分一人で向き合うのではなく、今回は周りを巻き込みたいと思った。子の僕が抱いている感情は、もしかすると両親にも在るかもしれない。

 

愛し方は人それぞれだと思う。その共通項はどこだろうか。

全てをひっくるめちゃうような愛。

 

あった。

 

 

ハグだ。

 

 

 両親と1日1分間ハグをする。

というアイディアが浮かんでから数週間。その実験は静かに5日目を迎えています。 

 

恥ずかしさと恐れの向こうで何を感じ、何が起こるのかを観たくて、思い切って両親に伝えてみた。

 

母はすんなり「あら、簡単な実験ね。」と受け入れた。母とは以前、産んでくれて有難うございます。と感謝を伝えたりしていた実績があった。

父の方は、

 

頷く。。。以上。笑

 

 

スマホでストップウォッチを開き、父から向かう。

椅子に腰掛けた彼は、立ち上がらない。

 

好きな女の子としかしたことのない、

 

座ったままハグをする。

 

を父とした。

今まで父とハグしたのは、数える程度だと思う。そして、そんなに長く抱き合ったことは記憶にない。20代を迎えてすぐ入った遅めの反抗期、数年間はまともに父と口をきかなかった。そんな父と1分間ハグをする。しかも、座って。笑

 

「大きな赤ちゃんよ〜ッ!」と変な声で照れ隠す父。

ひたすらストップウォッチを見つめる僕。

互いの背中をパン!パン!叩き合う。

母は横で爆笑していた。

 

照れもしない母とのハグ。母、強し。

話をしながらトントン背中を叩き合う。

 

 ハグを終え、先に眠る。よし。できたぞ俺。よくやった。と一人小さなガッツポーズ。

でも、なんだかその日は寝付けなかった。寝付けなさすぎると甘いものが欲しくなる自分。パンにイチゴジャムを塗って深夜に食べる。

あれ?おれ、これ甘いものやめるって始めなかったっけ???

よし、明日からだな。

と、ありがちなヤツを一度した上で、翌日からしっかり砂糖は抜いております。笑

深夜に起きてパンを食べようとすると、母がなぜかハンカチにアイロンをあてていた。しかも沢山。

ハグの刺激が強すぎた人がもう一人居ました。笑

 

翌朝、驚いたことが起きた。

朝の父の眼がエネルギーに満ちて、何かしたいな〜とキョロキョロしていた。

 今まで、全く関わろうとしなかった掃除。自らものを動かした。お〜〜〜!と内心感動して喜ぶ。掃除の許可がおり始めた。

それから、ペルーの笛を買って吹き始めた父。

僕はサックスを買ってドレミファソラシドを吹いて飽きてやめたが父はどうだろうか。

今のところ続いているようです。

母も今までに増して、本腰を入れて掃除をし始めた。

こんなこと起こるのか。と僕が一番、驚いていた。

 

 

僕はというと、砂糖を急激に求めなくなった。そして落ち着きが増してきたと感じている。それにより、見えてくることが多くなるんだと実感。

ハグって偉大だ。

親って偉大だ。

 

甘え合う依存ではなく、互いの命をたたえあい、尊重し合うものとしてハグをさせてもらっている今があります。

 

 

暫く続けていきます。

こんな実験してます、の報告でした。

 

 

これを始める前の血糖値の実験

https://www.instagram.com/p/BlXjB3UgPV0/

最近は、血糖値測定できるやつを腕に付けっ放し。ちっちゃいICチップついたやつ。そして、それを読み込むやつ(写真)何を食べた時にどのように血糖値があがるか調べてるんだけど、ラーメン食べた後の上がり方が半端ないwスタバで飲んだ甘いカフェモカと一緒な上がり方。野菜、玄米食は穏やか。そして食べる順番もやっぱり関係あるみたいだ。一般的に言われていることを試さないと気が済まないタチだったりする。この上がり方は身体に優しくないなぁ〜🤔 血糖値の変化と、体調と、気分の相関をもうちょい調べてみようと思います✨🙌🌈 #健康 #血糖値コントロール #目指せピンコロ #死ぬまで現役

 

 

 

今日がはじまり🙌✨🌈

 

 

 

 

 

 

感想など、ありましたら僕個人のLINEに送ってくれると喜びます🙌🌈

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きよひと