わからないまま、そのまま行こう。
ニュージーランドでのトレッキングの一コマ。屋久島とそっくりな緑の世界に驚いた。
やりたいことがわからなくなる時があった。過去
夢がある人が好きで、尊敬していて、そんな自分でありたいと思っていた。大好きで尊敬する人はいっぱいいるけれど、イチローと武井壮は特に好きで。彼らの意識をコピーしたくて、焼き物の絵付けの仕事をしながら何度も彼らの話をリピートして聴いていた。いつからだろうか、いつしか夢があるのが生きる意味とまで思っていた。そしてそれは夢がない自分、やりたいことがわからない自分を否定することとセットになっていた。どうしても追いかける対象が欲しくて、ひねり出してみたり、真似してみたり。
気まぐれに降った雨で現れた水たまり。晴れた空を綺麗に写すその小さな水たまりにカエルが卵を産んだ。暑い日差しの中、生まれたおたまじゃくし。その子達の成長とは反対に、水溜まりは小さくなっていった。大きな人の手によってその子達が大きな池に引っ越した後、水溜まりは消えた。
湧き上がるものに従っていない夢は、動いてみても泉がないからすぐ乾く。上手くいかない。どれだけ自分に喜びの雨を降らせることができるだろうか。キュートな音符に似たおたまじゃくしが、カエルに変身し喜びのゲコゲコを歌うように、自分なりの音を奏でられているだろうか。シンプルな自分の喜び。それは外に、外に、と求めるほどずれていく、内から湧き上がるオリジナルの音。
ボタンの掛け違いなんて言えないくらいにズレた状態で夢を追いかけていたけれど、やっぱりそこには辿り着いてはいなかった。大きな口して夢を語った友人達には、蜃気楼でしたッ!て、ちょっぴりはずかしい思いして辞めたことを伝えた。
そんな時があった。
やりたいことがわからなくなる時がある。現在
あれから、今。
今でもやりたいことがわからなくなったりする。そこは残念ながら変わっていない。(変わってないのかよー!!!)
いや、全然、残念ではない。わからないということをわかることが出来るようになった。だから考え続けることが減った。源は内にあると気がついたので、自分をよく観察するようになった。何にときめき、何に飛び跳ねたくなるのか。自分を知り、感じるようになってきた。どこでもない遠くを見つめていた迷子が今では、今日、あれしたい。これしたい。と目を輝かせ、日常を彩るようになってきた。今日が全てに繋がっていく。
ただ単に、自分を信じきれていなかっただけ。生きているだけでもう既に幸せなんだから、あとは遊ぶだけだ。失敗も成功もひっくるめた壮大な自分を使った実験。
以前、病気で部屋に引きこもっている時、ああ、これを経験したくて来たんだな。と思った自分がいた不思議。
今いつも自分に問うことは、
「自分にどうさせたい?」
全て経験だ。内側に軸を置いた上で、外側で何を経験させるのか。
「内側に軸を置く」というのは、「主体性を持つ」と同じ。そして感じることだと思っている。
数年ぶりに会えた友達が、素敵な感性からの言葉を伝えてくれた。
ああ、それは「風を感じる」っていうやつだね。
風を感じてみる。
やりたいことがわからなくなる時がこれからもきっとある。未来
これからもわからなくなることはある。きっと。
それは、自信を失くしただけかもしれないし。休憩したいだけかもしれないし。やりたいことへのワクワクを恐れと勘違いしているだけかもしれない。
壮大な実験を喜劇にするか悲劇にするか、ハッピーが溢れたものにするかは全て自分次第。
実験なんだから、決めてしまってやってみる。実験なんだから。
喜びの雨の中
一歩一歩軽やかに
スキップするように
風を、雨を感じて進もう
パプアニューギニア🇵🇬にて。飛び込む少年去年の暮れ#jump#png#ocean#backpacker #海外旅行 #バックパッカー
いや、飛びこも〜〜〜う❗️😆🙌🌈🌈🌈🌈🌈
きよひと