敏感気質な人(HSP)の海外旅行/楽しめる自分作り
パプアニューギニアでの一コマ
本題にはいる前に、
敏感気質な人、HSP(highly sensitive person)とは
5人に1人はいると言われている敏感な人。
特徴として、
・五感への刺激に敏感→物音、光、匂いに敏感
・心の境界線が薄い→共感する力が強かったり、人の気持ちがわかる。怒っている人がいると、自分が怒られていなくても怒られているように感じるなど。
・疲れやすい→敏感な気質から周りのさまざまなことを無意識のうちに引き受けてエネルギーを消耗しやすい。
・自己肯定感が弱い→優しい性格ゆえ、相手を責めるより自分に非があるとおもいがち。自己否定の側面も持つ。
一言でいえば、感度の高い人です!
僕もその一人です。敏感という言葉にみなさんはどんな印象を受けるでしょうか。人に対して深い理解や、五感の鋭さは良いなと思う方が多いかもしれません。それいいよね〜と言い切れない自分が居ます。
というのも、5年程前までは東京に旅行に行く(沖縄の人です)と、その場の空気と人の想いに巻き込まれ、友人の家から起き上がれなくなったり、頑張って起きて酸素カプセルに入りに行っても全然変わらない!(絶望w)とクタクタになって帰ったり。
自分の内面の整え方を知らなかったというのと、敏感な気質をどうしていいのかわからなかったり、そもそも自分が敏感だとはつゆ知らず。笑
あれから、あーだこーだ色々ありまして、自分を理解し、生きるのが上手になってきました。
(あーだこーだのところは過去記事をどうぞ⭐️)
かといって、敏感な気質は変わりません。むしろ、より強くなりました。数ヶ月前、東京に行ったときは、街中ですれ違う人に目を向けるとその人の体の痛いであろう部分が同じように疼いたり、喉の痛みを感じた人には、言いたいこと言えてないんだな〜。ご苦労様です。と心の中で声をかけたり。これから行く場所の空気感を感じたり。色々です。ようは直観が鋭くなってきました。だけど、ぶったおれ続けることがなくなりました。ぶっ倒れたとしても起き上がる術を身につけてきました。強くなったなったぞ〜と叫びたいくらいです。
また僕自身、再度海外渡航を計画しているので自分の為に、という意味も込めて。
これから『敏感な気質のあなたが海外旅行を楽しめる自分作り』という内容をまとめていきます。(やっと本筋に帰ってこれた)
せっかくの海外旅行、思いっきり楽しみたいですよね。
HSPな僕が初めての海外旅行で行った、パプアニューギニアとニュージーランド40日間の旅、たった一回ですがその経験と照らし合わせてまとめていきます。
敏感な気質のあなたが海外旅行を楽しめる自分作り
旅行を楽しむなら、自分が楽しめる状態であることが大切だと思われます。楽しめる自分で在るために、何を意識したか、何をしたか、をまとめます。
まず、はじめに大事なことを。
ぶったおれたとしても自分を責めないこと。自分で決めた予定や、一緒に動く人達との予定に縛られず、柔軟に緩やかに変化していくこと。
予定は変わっていい、なんならぶっ倒れてもいい
(無意識に)色々と感じやすい = 理解が深く大きい器
そんな自分をダメだと思わない。色々と理解できる自分いいね〜。くらい軽やかに受け入れましょう。人間として進化というより深化していくと、それだけ引き受けるものも大きくなっていきます。それが責任でもあります。引き受けないという選択(自由意志)もありますが、まずその状態の自分を大切に。誰もが深化の途中です。
理解できる自分を受け入れてみる
なんか自己啓発みたいになってきたぁ〜! ま、それもいいでしょう。
羽ばたきたい人の羽毛になれば良いかと。
人一倍、感じやすいのならある意味それだけ入ってくる情報量が多いということです。ここでの情報とは、自分の感情はもちろんとして、出会う人々の感情、行った場所に残されている想い、人間以外の生物・無生物の想い。
(う〜ん、書いていい内容なのか迷ってきた。)
自我(顕在意識)が認識しているかは別として、無意識の自分に見合ったものを自動的に受け取ることになります。だって理解できるから。理解が深く大きければそれだけ多い情報が入ってくるという構造。
そうすると、それだけの情報を処理する必要が出てくる。(処理=理解)
いっぱいで理解できていない状態というのが「ぶっ倒れる」という意味です。キツすぎて起き上がれない〜!といった状態。
自分以外のことは、とりあえずおいてw
自分の心の整理整頓をしましょう!♪
その日の感情の日記を書く
どこに行った、誰に会ったというのも良いですが、自分がどう感じたか。感情の動きを書きましょう。書く=出す。その瞬間にはわからなかった自分の内面を書くことで理解します。出した言葉を見て、理解する。これが身体を元気にすることにつながります。
ピュアさと腹黒さを兼ね備えた僕は、暇を見つけては日記をつけていましたw
この日記を書くことで新しい自分を発見する。それが新しい環境へ行く海外旅行での財産だと思ったりします。自分との出会い。またこれは日常でも出来ることですね。
そして、なれてくると自分の感情の動きに目を向ける習慣がつき、その時々で自分を理解できるようになってくると思われます。
日記に書くだけでは全てを理解しきれていないかもしれません。身体を整えることで自分自身を整えます。自分と自分以外への理解。
朝起きてand寝る前にゆっくりと全身をストレッチandマッサージ
足の指先から頭のテッペンまで、まんべんなくマッサージ、そしてストレッチしましょう。そして、深い複式呼吸で行いましょう。触って痛いと感じる部分には滞りがあります。理解されていないことがあります。痛いと思うところほど手を加えてあげましょう。行っている最中に、咳やあくび、くしゃみが出ることがあるはずです。大いにしましょう。それ自体、身体から出そうとするオートマチックな身体の行為です。
パプアニューギニアでは宿のベットの上で寝袋に入って寝ていました。匂いがキツ過ぎてw
朝起きて身体がバキバキになっていることが多く、ゆっくり時間をかけて全身ストレッチ、マッサージしていました。1~2時間ですね。バキバキだった身体もその後はすっごく軽く元気いっぱい!でした。30分くらい瞑想(呼吸に集中)もセットに行っていました。
身体を整えるという意味で、大切なこと。
食べ慣れた味噌を持っていく
日本の文化には声も出ません。最近、料理にはまり始めました。
旅行の最中、1週間ほど下痢が止まりませんでした。水はちゃんと買った水を飲んでいたのですが、水にも適応できなかったみたいで。旅行に出るに際して、仲間が味噌は持っていくと良いと教えてくれたのですが、この味噌に助けられました。詳しく勉強はしていませんが、発酵食材が腸に及ぼす影響は絶大です。日本人に合った食材でもあるし、第一、食べ慣れている。
味噌をお湯に溶かして飲んでから、一発で下痢は止まりました。
それとは別な面からのアプローチ。違う土地の個性の違う水。それを身体に入れる時には、身体に「この水はここに滞在する間は飲むから、最初はビックリするかもしれないけどよろしくね。」と身体への声かけも効果的です。実体験として、おすすめします。
最後に
思いっきり楽しむ!
これが一番かもしれないです。笑うことの効用は計り知れないです。笑う自体がある意味、浄化です。感覚的には、先に述べた「理解」を一気にしている状態。いろんなことひっっくるめて楽しみましょう⭐️
以上、ポイントだけまとめると
・予定は変わっていい、なんならぶっ倒れてもいい
・理解できる自分を受け入れてみる
・その日の感情の日記を書く
・朝起きてand寝る前にゆっくりと全身をストレッチandマッサージ
・食べ慣れた味噌を持っていく
・思いっきり楽しむ!
でした!
書いていたら、行きたい欲が強くなってきました。
敏感でも鈍感でも、どこかのだれかの羽毛になれますように。
きよひと
持つハサミに 湧く喜び
藍染。空気に触れるとじっくり藍色に変わり、空に溶け込んでいきそうだった。
叩き上げの美容師として
7月1日に正式にやんばるの生活から切り上げることが決まった。すぐに動きだそうと焦り癖のある自分を整えながらゆったり行こうと切り替えている最中だ。猪突猛進も素敵だが、自分の大切にしていることを大切にしたい。と、ここまで書いて、自分が芯から大切にしたいと想っていることはなんだろうか?という疑問が浮かぶ。これはまた、ゆっくりと自分と会話していこうと思う。
この生活の中で、僕は美容師役を務めていた。一緒に過ごす仲間の髪を切り、訪れる方々の髪を切っていた。今まで人の髪を切ったのは付き合っていた女性の髪を一度切ったぐらいだった。面白そう。というシンプルな理由と、きっとできるだろうという根拠のない自信から男女関係なく、主に女性を切らせてもらった。やってみると実際すごく面白かった。性格と髪質は関係しているように感じたし、その人が変化すると髪質も同時に変化していく。
髪が長いと、その人の考えや想いが髪に溜まりやすく、特に後頭部と耳まわりがスッキリしているかどうかで全然違うようだった。だから自然と2ブロックが多くなった。
失恋すると髪を切る。というのは理にかなっているな〜と納得したり。
色々、諸事情を抱えた人が訪れる場なので、その方々の髪も切っていたのだけどショートにしていく毎に顔が見違えるように変わり、髪に隠されていた明るい性格が前に出てくる場面に何度も立ち会った。その変化を体感した女性は、坊主にする方もいてこちらが逆に遠慮するほどだった。女性の坊主も美しかった。
僕の実の姉も遊びに来ていて、髪を切ってほしいと頼まれた。同世代の男性なら年の近い姉に髪を切ってと頼まれたらどう返事をするだろうか。心の中からは恥ずかしい。しか出てこず、塩対応していたら、仲間に可愛くないヤツ〜とヤジを受けた。
照れるじゃないか。普通に美容室に行ったらいいじゃないか。と心の声。
結果、姉は2度に分けて髪を切られ、小学生以来のショートヘアになった。自分で髪を切った人の髪型を良く観る習性がある。今、僕は姉を良く観るようになった。
切り取るのは理解する愛情
昨日、とある女性が訪ねてきた。仲間に、この人の髪切って〜!と頼まれ、緊張した面持ちのその女性の髪を切ることになった。サラサラした触り心地の髪は長い間、手入れされていないようで、伸ばしたというよりはほっておいたという印象を受けた。折角なので、ショートにしてみませんか?と勧める。ネットでなりたい髪型を選んでもらい、自己紹介しながら彼女の話を聴き髪を切っていった。
年上のその女性は、最近の健康診断に引っかかり、腎臓に異常が見つかり、僕も入院していた病棟から退院したばかりだった。なんとなくムーンフェイスが始まってきているようだった。薬の副作用のなか、『自分』が自分でなくなるような、そんな「人に理解されない」かもしれない不安を一人で抱え込んでいるようにも感じた。19歳の自分もそうだったな〜と思い出された。
髪から、その人から感じる不安や苦しさ。それに同調するのではなく、そうなんですね。と理解し、その中に自分が在った時に観た喜び、そしてその道を通ったことで深まった自分の学びを、こんなこともありましたよ〜。今の自分にはあの時間も宝です。と伝えさせてもらった。
髪を切られることを受け入れて閉じられたその眼は泣いているようにみえた。
その人の想いを受け取り理解しながら、そこにある喜びを見つけていった。軽くなっていくその人に感謝が湧き上がる。希望通りのショートにした上で、ためらっていた2ブロックを自分の意思で切ると決めてくれた。外側からわからないように2ブロックを入れていった。
本人はショートにするのを最初はこわがっていたけれどすっきり綺麗になったショートは、かえってその人の大人の一面を前に出してくれたようだった。気に入ってくれて何より嬉しかった。
写真を切り取るということは、そのまま写す対象を切り取るということで、そこに理解が無ければ無意識の想いも写真に残すことになる。写真展をやってみてそれをはっきり自覚した。写すことにも責任があるのだ。理解された写真は美しいと僕は感じる。
髪を切り取るのは、その人の想いを理解し、過去を整理して、風通しを良くした状態で新しいスタートを切る手伝いのような印象を受けた。そこに言葉があっても無くても良い。
美容師ってほんとに良い仕事だなぁ〜と思う。
写真も髪を切り取ることも本質的には、変わらないと思える。その道具が、表現方法が違うだけなのだと、その女性が魅せてくれた気がした。
そんな自分といえば、スキンヘッドにはまっている。
行き過ぎも考えものであります。
きよひと
急いては事を仕損じる
すってんころりん。数年前の僕。
タイトル せいてはことをしそんじる
🌈前回記事🌈
くらしのきほん
1年間続けたやんばる(沖縄北部)生活の次に目指すのは実家だった。多種多様な人達との共同生活の中で暮らしのきほんを身に付けてきた。洗濯のきほん、掃除のきほん、食事のきほん、生活に関することは全て。
仕事が外に向けたものだとすると、暮らしは「わたし」のベースになるものだ。ベースがしっかりしてこそ「わたし」を活かせる。僕はそのベースを大切にしてこなかった。というか、大切にするのが何なのかを知らなかった。今までの暮らしを脱ぎ捨て、暮らしのきほんを新たに肌に馴染ませて行った。
そしてなにより、自分のきほん。数えきれないほどのトライ&エラーを生きていれば自動的に誰もがしている。トライした後のエラーを学びや気付きとし、自分の成長につなげる。全て自分の糧とする。それを仲間と雪だるまを転がすように楽しく行っていた。
家族の暮らし再構築
スポンジのように吸収出来た今、実家に帰って生活環境を整えたかった。家族の暮らしを新たにして両親にもより良い生き方を共有したかった。そして、家業である"焼き物作り"を改めて取り組みたかった。そして、海外でのやりたい事も頭にあったり。
やりたい!が出来るとそれ以外考えられなくなって、今しなくては気がすまない自分がいる。そう、急がば回れない人。
やんばるでの最後の作業に取り組んでいる中、一緒に作業している仲間との会話で、「今、やりたいことをするんだー!!!」となった。もう自分の中で決まればGO!!!ということで、作業を辞めて、仲間への挨拶もパッと済まし、車に全ての荷物を積み込み、実家へ向かった。
それは言葉にならない程お世話になった方々に泥をまき散らして走り去ることだった。
僕の命を責任を持って引き受けてくれた方の「待った。」を聴いても動き始めた身体を止めることは出来なかった。
急いては事を仕損じる
やりたい!があるのは素敵だと思う。そして、それをやるには順序があるかもしれない。僕は今、目の前より「やりたい!気持ち」を取った結果、大切な方々を混乱させた。次のやりたい!だった暮らしのきほん再構築も、後に引けず前に進まず。といった感じで宙ぶらりんになった。
これを書いている今、僕はそのやんばるに戻って来た。器の広い方々のお陰でリトライさせて頂いている。「これも実験だからね」と優しく言葉をかけてくれる愛の深さにすみませんでした。と謝った。
思い返せば、こんなことを繰り返してきていた。気持ちが先走る余りに失ってきた縁もきっとあったはずだ。焦る気持ちは大切なものが何かを見えなくさせていた。焦りは盲目だ。
物事を進めるには、ゆっくり行う。
これが今回の学び。
すぐ傲慢になってしまう弱い自分がいる。関わって頂ける方々に素直に感謝を伝えられる謙虚さを大切にしていきたい。
丁寧に今を生きて、次へ向かおう。
きよひと☆
自分を知る/生きる力について
パプアニューギニアのマーケットにて。外国人の壁を感じさせない笑顔。
アスペルガー症候群だと受け入れて
適応しきれず表現を抑えていった学生時代
幼い頃から僕にはちょっとした違和感があった。その違和感が大きくなったのは中学時代。女の子のクラスメイトに何気なく思ったことを伝えると相手が泣いちゃうことが多々あった。感じたこと、思ったことにジャッジのなかった僕は理解できなくて困惑したのを覚えている。男友達の中でも思ったことをポンポン言っちゃう僕はKYだと言われていた。頭に浮かんだ気持ちやアイディアは気づくより先に口から出ていた。紡がれる会話の文脈をスキップするように話をしていた。思ったことを素直に伝えてはいけないんだとインプットした自分は素直に言うのを抑えていった。
八方ふさがる袋小路の中にて
今、振り返れば適応しきれてはいなかったけれども、なんだかんだ楽しくやって来ていた。
なんだかんだでは済まなくなった19歳〜26歳。
きよひと、やまひに落ち入るの巻。
自分が抑えれば丸く収まるなどといった思考の癖は、適応しきれていない自分の中に抱えきれないほどの重みを持つようになっていった。行き場を失くした感情の矛先は自分に向かった。健康を保つための免疫はいつしか自分を攻撃するようになっていた。独特な匂いのする病室でひとしきりセンチメンタルに浸った僕は、迷子になっていることに気が付いた。これからどう生きていいかわからなかった、19歳。
その時、考えうる限りの治る鍵を探し求める。大学の医学部図書館にでさえ、その鍵は落ちていなかった。諦めるのは生きることの放棄だと、探し求め続けた。だけど、心の奥底では諦めて、探すことそれ自体が自分を落ち着かせるための癖になっていった。
当時、好きだった人に「死にたいなら勝手に死んで下さい」と現実を突きつけられた。諦めた人生に好きな人を巻き込むほど失礼なことはない。情を越えて真摯に本音を伝えてくれたその方の一言で目が覚めた。厳しさから溢れる愛を知った。死にたがっていた自分を初めて受け入れた。26歳。
その数年前に同じ言葉を投げかけてくれた方に会いにやんばるを訪れた。生きたいです。なんでも教えて下さい、と頭を下げた。外側ばかりに答えを探し求めていた自分が本気で自分と向き合うと決めた。自分と向き合うことを本気でやり抜いている人達の中で「自分を知る」を深めていく。一人ではほどけない程に絡まった糸を仲間たちとほどいていく。ほどく毎に溢れる感情は涙でさえも喜びに変わっていった。自分を知れる喜びに魂が震えた。自閉症やアスペルガーの特徴を持った仲間はデコボコな個性だったけれど、眩ゆいほどに輝いていた。実際に病院で診断を受けた人もいたが、そんなことは重要ではなかった。薄いか、濃ゆいかの違いで自分の中にもあった。そうこうする内に身体はいつの間にか若返っていた。この時の喜びを僕は絶対忘れない。一本の蜘蛛の糸は、僕の中にあった。27歳。
アスペルガー症候群/自閉症スペクトラムの特徴
何度も意識していることがあった。誰にでも当てはまる気もする。このタイプの人の3つの特徴。
1. やめない
2. はじめない
3. 変わらない
変化に弱い。凝り固まったこだわりや癖を書き換えていく。今までの自分を作り上げてきた癖の断捨離。今の自分にはもう必要なくなった無意識の癖を手放していく。変化させていく。
1. やめない → やめる
2. はじめない → はじめる
3. 変わらない → 変わる
何度もそこに立ち返った。日常の暮らし、生きる基礎から再構築していった。
自分を生かす!以外は全て手放して自分を理解していったことで、初めて海外旅行にも行けるほど強くなった。バックパッカーをするには難しいと言われたパプアニューギニアで揉まれても生き抜ける強さを得ていた。自分を理解していくことで他人への理解も深まっていった。自分を深く自覚していくことが変化への適応と結びついていた。変化への適応は生きる力だった。どこにいても、誰といても大丈夫だという自分を仲間と共に自分自身で育てていった。
自分を知ることは生きる力そのものだった。
伝わりましたかね?笑
熱くなってしまった〜。笑
まとめると❗️
あんなことや、こんなことが起きて、てんやわんやで、あ〜でもない。こ〜でもないしてたら元気になってました❗️😁🙌🌈
きよひと
ひとつでも形に/スタートを切る
初めて刺身までさばいたガーラ!
やんばる暮らしで大工になる
実家を離れ、自然の中の生活に入ってもう1年になる。(といっても何も不自由はない)
初めての体験を数え切れない程させてもらっていて、2018年に入ってからはずっと古民家をリフォームしている。仲間の一人が民宿を始めると決めたのでモノ作りが好きな僕は前のめりで大工になった。
工具一式は焼き物の手伝いで使いこなしていたが、大工はしてこなかった。
自分に見せてあげる(最初のOne Step)
初めて取り組むことには基本的にパニックになる自分がいる。わからないということが怖いと結びつくことが多い。
だから、ひとつひとつ心と頭を整理して形にしていく。
一度でもやってしまえば、流れがわかり自信がついた。
面倒だと思っていたセメントをこねてブロックを立てる事でさえも、『さぁ、やろっか♪』くらいの軽やかな気持ちでできるようになった。
ひたすら一人で窓を作り続けたりもした。
スタッフ部屋は完全手作りでゼロから作るという実験・挑戦をしている。
今日はトイレと風呂を仕切るドア&壁作りに取り掛かったのだけれど、頭だけで考えている段階は混乱があった。
ひとつの木材をコンクリの壁に打ち込み、それを見て。
あ、できた。と思えた。混乱はなくなり、不安はなくなり、流れるように作業ができるようになった。
見える形にして「自分に」見せてあげることの大切さを知った。
そして、それはひとつでもいいと理解した。
失敗したらしたで、笑いとばしゃいいのだ。始めたばかりの頃の木材には意味不明のところにドリルで穴が開いていたりする。笑って埋め合わせた。
行為を通して自分を理解する
「まぁいっか♪」の積み重ねは大工仕事では後から仕事を複雑にしていく。
大工の若葉マークのついた僕は長引いていく作業中、疑問に思う。
なんでこんなにも僕は窓を作っているんだろう?
窓はひとつではなく8個あった。それぞれ窓枠に溝を掘るところから始まる。
やっていることを通して自分を知る。
それがやんばるでの生活を通して学んだことのひとつ。
理解したのは、自分の閉じてきた心の窓を開けたかったのだ。
(こう、文章にしてみるとすごくこじ付けに見えるw)
ぼくは、アスペルガー症候群で自閉的な傾向もある。(いつか説明します⭐️)
窓を作っている最中、様々な記憶が蘇ってきた。
そのひとつひとつを眺めて、過去のものとして流していく。
自閉してきたことを開けたかった。自分に対しての自閉。
ぼくの車の運転席の窓。
1年ほど、どうやっても開かなくなっていた。ビクともしない。
仲間の一人が会話してごらんよ〜普通に開くよ?という。
ある日、いつもの大工仕事に向う途中、車に意識を向けて話してみた。
すると、開いた。
ぼくの口も開いた。車を理解できた。
[窓づくりをしたぼくが車の窓も開けたはなし]
それから数ヶ月たった今、
また開かない。笑
なんでかね〜
そろそろ普通に修理に出そうかな。笑
民宿をはじめる!と決めてくれた仲間
半年間、リフォームをしてきてその途中経過をブログに綴ってくれた。
民宿 「Family(や〜にんじゅ) ゆい」のオーナーのゆりさん
本当に素敵な人。尊敬してやまない人。
ぜひ読んでみて下さい。
やんばる出ます!さらば森の中、山の上生活
あっと言う間に、一年。
やんばるでの生活から飛び出して次に向かいます。
その次どーするのか!はまた書きま〜す。
近々、やんばるの生活で学んだことをまとめようかと思います。(できるのか?)
ここで学んだことが広く深すぎて。。。笑
⭐️最近のマイブームはアベンジャーズをみることっ!ドクターストレンジかっけぇぇ
きよひとでした^_^
手作りキャンプウエディング
先日、友人の結婚式の写真を撮った。
式場でもなく、レストランでもなく、海辺でキャンプをしながらウエディング。
全て手作りでしたいという想いが素敵でカメラマンを引き受けた。
地元の綺麗な海で、いつものキャンプ仲間のテントを広げ、いつもよりキレイめな装いで。
僕もいつもより白いTシャツと島ぞうり焼けした素足で参加。
新郎・新婦は友人のデザイナーがアレンジしたアイテムとドレスを身につけて。
式を取り仕切る神父さんも即席で友人が務めて。
アットホームで和やかなキャンプをしながらのウエディング。
形に捉われるんじゃなくて、
人生を共に歩むと決めた二人が心地よく楽しくできるように
という気持ちを大切にしたウエディングだった。
参列した10人足らずの友人達もキャッチボールしたり、釣りを始めたり、本を読んだり、各々自由に過ごした。それでいて二人を祝福したそんな優しい空間だった。
末長く、すえなが〜〜〜〜くお幸せに⭐️
お気に入り。つるつる頭しか出来ない遊び。#太陽拳#ドラゴンボール#読谷村 #campwedding
その向こうの喜びへ
初めての写真展
写真を撮って2年くらいが経つ。
今回、初めて人に見せる機会を与えてもらった。展示会を終えた今、沢山の学びと気づきがあり嬉しさを噛み締めている。
大好きなおじぃをひたすら撮り続け、絞りに絞って80点ほどの写真を真っ白な壁に展示していく。
大きく現像された写真を見て、実感が湧く。
撮った時の感情も蘇る。
今の自分にあるのは、
表現することがしたい。
でも、何を表現したいかまではわからなかった。
展示会でそのぼんやりした部分の確かな答えを気付かせてもらった。
美しさだけではなく、自分の葛藤も正直に写真展で配布されたしおりに書いた。
撮影当初、老いているように感じたおじぃへ不安と心配をした。すると、シャッターを切るたびに大好きなおじぃの不安と心配の部分に共鳴し、彼の痛みをも共有した。身体が動かなくなっていく。途中から、シャッターを切るのをためらうようになった。自分は何を収めたいのだろう。今考えると上から目線で傲慢だったと思う。自分にあった感情を彼に観た。
共に暮らす仲間から、「おじぃは本当に辛いだけかな?その奥にある喜びは見てる?」と問われる。
おじぃが辛い感情を抱いていたのは事実だけど、彼の歴史に心を向けると喜びや誇りがある。そして、今でも素敵だった。
コップに入った水を見て、無い部分を観ていた。水はあった。喜びは、光はあった。
キッチンに立つ、写真を仲間に見せた。
「俺は何をしてきたんだろう?」って写真から聴こえるよ〜。おじぃの事、理解してあげてるかー?と言われた。
理解することで、想いは還る。
言葉を交わし、言葉を交わさずとも彼を理解していく。
彼の笑顔が増えた。
おじぃと孫の関係が対等な存在へと変わっていった。撮るのが喜びに変わる。
そのような過程が写真として展示された。観た方が辛さを感じるのでは?と気になっていた。
辛さを感じた人も居た。そして、喜んでくれた方も居た。
他の展示者の友人が、僕の写真とコメントを読んで涙を流したようだ。
友人の喜びに溢れたメールを僕に見せてくれた。
その愛に溢れたメールを読んで僕も目がうるうる。
やって良かった。
言葉には表せない想いが溢れる。
感動だ。
これだ。これがしたい。
僕が光を見つめようと向き合った過程が、観たその人の中にある何かと共鳴して、涙として流れた出た。
会ったこともない方と心を通わせることが出来た。
主張がしたいんじゃなくて、伝え合うことをしたい。
根本は愛を表現したいんだ!と腑に落ちた。その手段が今は写真。
そして、それはカメラを持っていなくても筆を持っていなくても出来る。
今この場所で出来る。
あぁ〜〜。それやってるわ。今の生活の中でやっていたことに気づく。
やりたいことをしていた。
梅雨なのに雨が降らない。星空が綺麗だ。